存在そんざい
being; tre; Sein
有ともいう。哲学における最も根本的な概念。それゆえ十全に定義することはできない。通常,(1) 何か「がある」,(2) 「何か」がある,(3) 何かは何か「である」 (内的規定) の3様の意に用いられ,それぞれ,(1) 実存または実在,(2) 存在者,(3) 本質とも呼ばれる。中世スコラ哲学では可能態である (3) が,現実態である (1) によって現実化され (2) となると説明される。 (3) の観点から主語となって述語とはならない実体と,その逆の偶有が区別されている。また (1) と (3) との間には現実的な区別が存するか否かが大論争された。近世以後,存在は客観的に存してこれを主観がとらえるとする立場と,主観が構成するものとする立場とに分れた。 M.ハイデガーは存在者とその規定根拠としての存在を峻別する。
[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
存在
I プロローグ
存在 そんざい 古代ギリシャの昔から現代にいたるまで多くの哲学者たちを探究にかりたてた哲学上の重大なテーマ。存在と生成、存在と仮象、存在と思考、存在と当為というように、他の用語と対になってつかわれることが多い。
II さまざまな「存在」の意味
対置される概念に応じて、「存在」の意味はことなってくる。「生成(変化)」と対置される場合は、「かわらない永遠不滅なあり方をしていること」を意味する。「仮象(または現象)」と対置される場合は、「そのようにみえるのではなく本当にそのような状態にあること」を意味する。「思考(観念)」と対置される場合には、「心の中でそう考えられているだけではなくそういう状態で心の外に実在すること」を意味する。「当為(~すべきである)」と対置される場合は、「どうすべきかはとにかく事実はこうこうであるということ」を意味する。
そのほかにも対になる概念に応じて「存在」はさまざまな意味をもつので、どのような文脈で「存在」がつかわれているかをじゅうぶん見きわめることが大切である。
III 「である」と「がある」
また日本語の「存在」という訳語は、西洋語のesse(ラテン語)、be(英語)、sein(ドイツ語)、etre(フランス語)などと意味がかならずしも重ならないから、誤解しないようにしなければならない。というのもbeは、日本語の「~がある」という意味だけでなく、「~である」というときの「ある」も含意するが、日本語で「存在」というともっぱら「~がある」の意味に解されかねないからである。この2つの「ある」の区別が、すでに重要な哲学的テーマとなる。
IV 本質存在と現実存在
「~である」というときの「ある」が「本質存在」、「~がある」というときの「ある」が「現実存在」または「事実存在」とよばれて、2つの「ある」は古くから区別されている。たとえば、理想の国家とは社会の隅々まで正義がいきわたっている国家「である」というのは、理想国家の本質や定義をのべたものである。しかしそうした国家「がある」かどうかは別問題である。この国家が現実にあるかどうか、つまり現実存在は、そのような国家の本質存在とは別のことなのである。
V 「存在」観による分類
「存在」という概念がもつこの2つの意味のどちらを重視するかによって、西洋哲学の主要な哲学者をわけることもできる。一般に合理主義的な傾向をもつ哲学者は「本質存在」を重視し、経験主義的な傾向をもつ哲学者は「現実存在」を重視する。
1 合理主義者
最古の合理主義者パルメニデスは、「思惟(しい)することと存在することは同じひとつのことだ」といい、「あるものはあり、ないものはない」ともいうが、こうした謎(なぞ)めいた言葉も、「存在」や「ある」を本質存在と解すると、理解しやすい。プラトンのイデアもそうした用語法の延長上にある。個々の家が家「である」といえるのは、家のイデアによるのだとプラトンはいう。イデアがまずあって、それにあわせて個々の物がつくられると彼は考えた。
2 経験主義者
これに対して、経験を重んじたアリストテレスは、まず現実に存在する個々の物から出発する。まず個物「がある」。個物には、何からできているか(質料)と何「である」か(形相)の2つの側面がかならずそなわっているが、この形相こそプラトンのいうイデアだとアリストテレスは考えた。
しかしこの形相がどのようにして生じてくるかの説明に関しては、アリストテレスはプラトンに近づく。つまり形相はあらかじめ個物の質料の中に可能性としてやどっていて、それが現実に存在するようになっただけだと考えた。いずれにしろ、形相を個物の成立より前にあるものと考えた点ではプラトンと同じである。
→ 形相と質料
VI 神の存在証明
本質存在と現実存在という対概念は、中世以降神の存在証明においても利用されている。神は全知「であり」、最善「であり」、全能「であり」、そして存在「である」。だから神は存在する。神の本質存在、神の定義にはその現実存在がふくまれているという証明である。中世のアンセルムスにはじまるこのいわゆる「存在論的証明」は、形をかえて近代のデカルトやスピノザの哲学にもながれこんでいる。
→ 神の「神の存在の論証」
VII カントの「存在」観
「~である」に「~がある」がふくまれる場合があるとするこの議論を決定的に論駁(ろんばく)したのは、カントである。カントは現実存在と本質存在を明確にわけて、いくら理性で本質存在をくわしく論じても、現実存在はえられないと主張した。カントによると、何か「がある」と認識するためには、感覚や経験が必要である。他の点では合理主義者のカントは、この点では間違いなく経験主義者ヒュームの弟子である。
VIII ハイデッガーの存在論
カント以後、「存在」は哲学の中心的な話題となることがあまりなかったが、20世紀になってふたたび脚光をあびた。これにはハイデッガーの哲学が大きな役割をはたした。
ハイデッガーは存在者と存在を区別する。あらゆる学問はそれぞれ特定の存在者を研究するが、それらの存在者を存在するものたらしめている根拠までは問わない。そこにせまるのは哲学だけである。科学も宗教も芸術も人間によるなんらかの存在了解から生じる。その大本の存在了解をまず解明するのが哲学であり、彼のいう「基礎的存在論」である。
人間は、物や動物のようにただ存在しているのではなく、自分の存在を了解しながら存在している。しかも、その了解の仕方がその存在の仕方を(自覚していなくとも)きめている。その無自覚的な存 在了解を自覚化する作業が哲学である。
ふつう人間は自分の存在をさほどリアルに感じていないが、たとえば自分の存在の終わり(死)に直面したときには、自分がいま現に存在していることをありありと感じる。人間は自分が時間的に有限な存在者であることを自覚できる。神や動物にはそれができない。人間だけが無を媒介にして存在をテーマにできる。人間とは存在があらわれでる場だとハイデッガーは考えた。
→ 観念論:形而上学:現象学:死:死学:実在論:実存:実存主義:ノモスとピュシス:唯物論:唯名論:論理学
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存在と時間
存在と時間
そんざいとじかん
Sein und Zeit
1926年8月8日トトナウのスキー小屋で脱稿され,翌 27年春公刊されたハイデガー前期の大著。この書の究極的目標は存在一般の意味を問うことにあるが,公刊された第1部では,時間性へ向けての現存在の解釈,および存在についての問いの先験的視界としての時間の解明のみがなされ,予定された第2部以降は発表されなかった。
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存在と時間
そんざいとじかん Sein und Zeit
M. ハイデッガーがその最初の主著に付した表題。1927年刊。ただし,この表題の著作ははじめ2巻に分けて発表される計画であったが,後に第2巻に相当する部分は公表を放棄されたので,実際には前半のみの表題としてとどまっている。この著作の主旨は,存在(存在者をさまざまな意味において存在するものたらしめている根拠)の諸相をそれの統一的意味へさかのぼって解明すること(これが哲学である),その諸相と統一的意味とをそれぞれの根源的体験の文脈へさしもどすことによって,伝統的存在論の凝結した図式性から解放すること,そして結局はさまざまな存在者の存在を人間存在の根本的意味としての時間性から解釈することにある。この最後の点は《存在と時間》の後半部分で具体的に展開される予定であったが,前半の発表後ま もなく,ハイデッガーは存在と時間との連関について一見逆転ともみえる根本的な再考を必要と考え,人間存在の意味としての時間性から存在とその諸相をみちびき出すのではなく,むしろ逆に,存在そのものに相属する時間から人間存在の意味を照明する方向へ力点を移していった。〈存在と時間〉から〈時間と存在〉への転回がハイデッガーの後期思索の歩みであると言われるゆえんである。この経緯は《ヒューマニズムについての書簡》(1947),《真理の本質について》(第2版,1949)の中でもっとも直接的に表明されているが,この思索の歩みは,前期の《存在と時間》の中ではまだ表立っていなかった〈ヨーロッパのニヒリズム〉との苦しい対決の中で切り開かれたものと考えられている。 細谷 貞雄
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ハイデッガー 1889‐1976
Martin Heidegger
ドイツの哲学者。西南ドイツの小村メスキルヒでカトリック教会の職員の長子として生まれ,普通教育のあと司教に嘱望されて1909年フライブルク大学に入学し,はじめ神学を,やがて哲学を修めた。この転向については,F. ブレンターノの《アリストテレスにおける存在の多様な意味について》(1862)という学位論文の精読から得た感銘が契機になったと伝えられる。はじめリッケルトや E. ラスクの代表する新カント学派の影響を受け,ついでフッサールの《論理学研究》(1900‐01)から決定的な啓発を受け,15年に同大学の私講師に任ぜられると同時に,フッサールの助手としてその指導のもとにアリストテレスの現象学的解釈にたずさわった。この哲学史研究を深めていくうちにフッサールの超越的観念論とたもとをわかち,アリストテレスの形而上学のうちに余映をとどめている初期ギリシア思想の存在経験の傾向を深化させ,これによって〈cogito,ergo sum〉を拠点としたデカルトに始まる近代的思惟の限界を突破することに努めた。23年マールブルク大学教授に転じ,ヨーロッパの形而上学の歴史についての多彩な解釈を展開するかたわら,新約聖書学者ブルトマンとの親しい対話のなかで西洋哲学の根本的基調を対比的に体得するに至った。この時期の思索の蓄積が主著《存在と時間》(1927)として公表され,1920年代のドイツ哲学界に深刻な衝撃を与えた。その構想はさしあたり,人間の実存から出発してそこへ帰着すべき解釈学的存在論と,これの基礎づけの提唱として表明された。この腹案は計画通りの完結をみるに至らなかったが,28年フッサールの講座後継者としてフライブルク大学に移り,そこで活躍するうちに,根本から変容された。彼は各学期の講義でヨーロッパ哲学史の由� �あるテキストの克明な解釈と根源的な批判を通じて,ますます近代哲学の限界を明らかにし,同時に《存在と時間》の本旨を深化して新しい地盤をたしかめることに努めた。その歩みはのちの多くの論著,なかんずく《ニーチェ》(1961)のうちにたどることができる。
33年ハイデッガーは不本意ながらフライブルク大学総長となり,ナチスの大学再編にもそれなりに荷担せざるをえなかった。そのドキュメントは《ドイツ大学の自己主張》(1933)と題する講演である。しかし,在任わずか1年でヒトラーの文教政策に失望して辞任,それ以後は深い孤独の中で,きびしい時代批判のなかから《存在と時間》の問題の再考に沈潜し,とりわけヘルダーリンの詩とニーチェの形而上学との批判的体得という作業のなかで新しい思索の深化と集中に努めた。この時期の思索の境涯はほとんどすべて,第2次大戦後にはじめて多くの著作の中で公表されたものである。45年ドイツの敗戦とともに休職し,50年にフライブルク大学に復帰,いわばハイデッガーの後期思想とも呼ぶべきものが相次ぐ論究の出版によって明ら かにされた。このハイデッガー思想の〈転回〉は1935年ごろから顕著な形をとりはじめ,その後の歩みは《存在と時間》に匹敵すべき体系的主著に集成されることなく,おびただしい解釈と論述の形でかなりの紆余曲折をたどっているので,明快な形で簡単にまとめることはできない。彼が自分の思索の様式を伝統的な体系とか理論とか方法の型に合わせず,率直に〈思索の道〉と呼んでいるのは,このためである。
若きハイデッガーの思索がどのような境涯と系譜から由来していたかを椿議することは困難な作業であるが,とにかく存在者の存在の意味を人間の実存的存在経験へ立ち帰って解明しようとして,その限りでフッサールの(デカルト的な)観念的予断を批判的に克服することに努めながら,問いつつさかのぼるべき根源的存在経験としては,なおキリスト教的実存(キルケゴールからブルトマンに至る血脈)にあまりにも深く連帯していたということは否めない事実である。キルケゴールへの一時的共鳴やブルトマンとの親交が,このことを証拠だてている。この意味で当時の実存思想が結局はやはり一種の(神学的な)世界疎外によって条件づけられていたということがしだいに摘発・自覚され,この自覚が後期への転回の強いモティーフに� �ったことは明らかである。〈転回〉の時期がヘルダーリン解釈(《ヘルダーリンの詩の解明》1944)とニーチェ批判によって占められていたことが,その間の内情をうかがわせる。なぜなら,ニーチェによって素描されていたものがキリスト教への反逆的な拘束を刻印されていることを明示するハイデッガーのヘルダーリン,ニーチェ解釈の主旨が,伝統的存在論(プラトン主義)の継承によって覆われていた悲劇的世界経験の再興をめざし,あるいはそれに対応することに向けられていたからである。
ここまで来ると,かつて《存在と時間》のなかでいわば形式的に導入されていた〈世界内存在〉という概念における〈世界〉もしくは〈世界性〉という概念が否応なしにある具体性を帯びてくることになる。存在・真理・世界は,決してその相関性を失うことはないが,その内実は変遷する。それも人類の歴史の重要な転換期ごとに存在・真理・世界がそのつど別な現象の系列として出現するというだけではなく,それらがきわめて早期からそれぞれの人間的意味を減衰させ,ついには存在と世界の喪失へむかって滔々と流れていくという含みを帯びてくる。すなわち後期ハイデッガーの思想は,その先端において〈ヨーロッパのニヒリズム〉との,ニーチェのそれとはまったく異なる対決へと呼び立てられるのである。この世界はギ� �シア人のいうコスモスでも,キリスト教徒の信じる摂理の舞台でもなく,もはやいかなる体系化も意味づけをも不可能にする渾沌,無へと突きすすんでいく過程そのものにほかならない。それゆえに,この動向に対応する哲学は,それ自身ある――いな特別の――歴史性を帯びざるをえない。〈故郷の喪失が世界の運命となる。それゆえに,この世界を存在史的に思索することが必要となるのだ〉とハイデッガーは述べて,彼の思想全体をつらぬくモティーフを明言している。彼が後期思想において語り出そうと努めているのは,このように無化しつつある世界の不安な消息であり,そしてこの世界を背景とも地盤ともして到来しつつあるヨーロッパの歴史全体の運命なのである。なお,主著には上記のもののほか,《カントと形而上学の 問題》(1929),《ヒューマニズムについての書簡》(付《プラトンの真理論》。1947)などがある。 細谷 貞雄
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ハイデッガー,M.
I プロローグ
ハイデッガー Martin Heidegger 1889~1976 実存主義的現象学を展開したドイツの哲学者。20世紀のもっとも独創的でもっとも大きな影響力をもった哲学者である。
バーデンのメスキルヒに生まれる。フライブルク大学ではじめにカトリック神学、ついで哲学をまなんだ。同大学で現象学の創始者フッサールの助手になり、1915年に同大学の私講師となった。23~28年マールブルク大学教授。28年にフライブルクにかえり、フッサールの後任として哲学教授になる。33、34年にヒトラーとナチズムを公然と支持したことで、敗戦後の45年、教授活動を禁止された。59年の退職にいたるまで、彼の大学での地位については論争がたえなかった。
II 存在と時間
ハイデッガーがフッサール以外にとくに影響をうけたのは、ソクラテス以前のギリシャ哲学者たち(→ ギリシャ哲学:西洋哲学)、およびキルケゴール、ニーチェである。ハイデッガーはみずからの理論を展開する際に、伝統的な哲学の用語法をしりぞけて、むしろ過去の思想家の著作をひとつひとつ解釈してゆく。彼は個々の言葉や表現に独創的な意味や語源をあてがい、多くの新しい合成語をつくりだした。
もっとも重要で影響の大きかった著書「存在と時間」(1927)は、存在とはなにかという問題をあつかう。この問題こそ哲学の本質的な問題であるとハイデッガーは主張する。しかし、この問題にこたえようとすれば、人間とはどのような「存在」かという問題にこたえなければならない。ハイデッガーによれば、人間は自分がつくったわけではない世界になげこまれている。この世界は、自然の物も文化的な物もふくめて、潜在� �に有用な事物から構成されている。これらの物は過去から人間のもとにとどき、未来の目的のために現在つかわれる。したがって、ハイデッガーは、物と人間と時間構造のそれぞれの存在様式の間に、日常的関係とは別の基本的な関係を設定する。
しかし、実際の人間は、こうした基本的な関係のうえではなく、より日常的な世界に生き、紋切り型のあさはかな大衆的行動などに埋没する危険につねにさらされている。人間は不安という感情によって、死と人生の最終的な無意味さに直面させられるが、これによってはじめて、存在と自由の真の意味がえられる。
III 存在の了解
1930年以降ハイデッガーは、「形而上学入門」(1953)などの著作において、西洋の特殊な存在概念の解釈をおこなうようになる。彼の考えによれば、古代ギリシャの畏敬(いけい)の念にみちた存在概念とは対照的に、現代の技術社会はひたすら効率的処理という態度を助長し、この態度は存在と人間の生活から意味をうばっている。彼はこの状況をニヒリズムとよぶ。人間はおのれの真の使命をわすれてしまっている。人間は、古代ギリシャ人たちによってなしとげられ、後代の哲学者たちによってみうしなわれた、より深い存在了解を再発見し、新しい存在了解をうけいれなければならない。
IV 実存主義その他への影響
人間の有限性、死、無、真正といった主題の独創的な論述のゆえに、ハイデッガーはしばしば実存主義とむすびつけられ、その著作はフランスの実存主義者サルトルに決定的な影響をあたえた。しかし、ハイデッガーは、自分の著作の実存主義的解釈を結局は否定した。彼の思想から直接的な影響力をうけたのは、フランスの哲学者フーコーとデリダ、ドイツの社会学者ハーバーマスである。1960年以降、ハイデッガーの影響力はヨーロッパ大陸をこえて、世界じゅうにますますひろがりつつある。
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風土
風土
I プロローグ
風土 ふうど 和辻哲郎の代表的著作。正式の名称は、「風土?人間学的考察」。副題に「人間学」とあるように、これは哲学的人間学の書である。
1925年(大正14)、京都帝国大学助教授に就任した和辻は、27年(昭和2)ドイツに留学、このときの船旅の印象が本書成立のきっかけをつくった。帰国直後の京大における講義草案を原型とし、35年岩波書店より刊行、読書界の大きな反響をよんだ。
II 人間存在把握の契機
全体は、第1章「風土の基礎理論」、第2章「三つの類型」、第3章「モンスーン的風土の特殊形態」、第4章「芸術の風土的性格」、第5章「風土学の歴史的考察」の5章からなる。第2章でしめされた東南アジアにおける「モンスーン」型、西アジアの「沙漠」型、ヨーロッパの「牧場」型という3分類は、船旅の印象的叙述とあいまって本書を著名ならしめた個所である。