サミットの仕組みについて
問.G8サミットとは何ですか?
G8サミットとは、日、米、英、仏、独、伊、加、露8か国の首脳及び欧州委員会の委員長が参加して毎年開催される首脳会議です。
狭義のサミットは首脳会合を意味していますが、首脳会合の前に開催される外相会合及び蔵相会合を含めた全体をサミットと呼んでいます。
問.G8とは何の略ですか?
公式な定義はありませんが、一般的に首脳会議に参加する8ヶ国の総称としてのGroup of Eightを意味しています。
問.サミットを他の国際会議と比較した特徴は何ですか?
タコベルスーフォールズ
サミットでは、国際社会が直面する様々な地球規模の課題について、首脳は一つのテーブルを囲みながら、自由闊達な意見交換を通じてコンセンサスを形成し、物事を決定します。そして、その成果が宣言としてまとめられます。グローバル化が進むと世界各国の相互依存関係が進み、物事が起こりかつ展開する速度が速くなり、その影響するところも国境を越えて大きくなりますが、それらに有効に対処するためには、首脳のリーダーシップが必要となります。サミットは、首脳のリーダーシップにより、国際社会が迅速に解決することが求められている問題に効果的に対応してきています。
問.サミットはどのように準備されるのですか?
サミットの準備は「シェルパ」と呼ばれる首脳の補佐役が首脳の指示を受けて緊密に連絡を取り合って行われます。(「シェルパ」とは本来「登山者が山の頂上(サミット)にたどり着くための手助けをする案内人」という意味です。)
問.議長国の任期及び役割は?
なぜ我々は天然資源を節約する必要がありますか?
サミットを開催する国が、開催する年の1月~12月の1年間、サミット議長国となります。サミット議長国は、サミット開催に向けた事前の準備会合や、実際の首脳会合、外相会合、蔵相会合の開催のための諸準備及び議事進行を行います。更に、その時々の国際情勢を反映して、必要に応じて緊急会合の呼びかけを行うこともあります。
これまで日本は1979年、1986年、1993年、2000年、2008年の5回議長国となっています。
サミットの歴史について
問.サミットが始まった経緯は?
1970年代に入り、ニクソン・ショック(ドルの切り下げ)や第1次石油危機などの諸問題に直面した先進国の間では、世界経済問題(マクロ経済、通貨、貿易、エネルギーなど)に対する政策協調について首脳レベルで総合的に議論する場が必要であるとの認識が生まれました。
このような背景の下、ジスカール・デスタン仏大統領(当時)の提案により、1975年11月、パリ郊外のランブイエ城において、日、米、英、仏、独、伊の6か国による第1回首脳会議が開催されました。
問.サミット・メンバーの変遷は?
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1975年のランブイエ会議には、日、米、英、仏、独、伊の6か国の首脳が参加しましたが、1976年のプエルトリコ会議からはカナダが参加し、1977年のロンドン会議からは欧州共同体(EC)(現在は欧州連合(EU))の欧州委員会委員長が参加するようになりました。
その後、冷戦終了後の国際情勢に応じて、1991年のロンドン会議から、G7サミット終了後、ロシア大統領と各首脳がサミットの枠外で会合を行うようになりました。ロシア大統領は、1994年のナポリ会合以降は首脳会議のうち政治討議に参加するようになり、1997年のデンヴァー会議以降は「世界経済」「金融」等の一部セッションを除き基本的に全ての日程に参加することになりました。1998年のバーミンガム会議以降は従来の「G7サミット」に代わり「G8サミット」という呼称が用いられるようになっています。さらに、2003年のエビアン・サミット以降、ロシアは「世界経済」に関するセッションを含め、完全に全ての日程に参加するようになっています。
問.サミットが恒例化した経緯は?
1975年のランブイエ首脳会議の結果、世界経済問題に対応するために先進国の首脳が集まって政策協調のための議論の場を持つことの重要性が認識され、各国が持ち回りで議長国を務めつつ毎年首脳が集まって会合をもつことになりました。
その後、世界経済の諸問題と並んで、冷戦を背景とした東西問題、更には冷戦崩壊後の国際問題、南北問題やその時々の世界情勢などの政治問題が議論の対象とされるようになり、さらには開発、環境、気候変動などの地球規模の問題についても議論されるようになっています。このようにして、主要国の政策協調の場であるサミットの重要性はますます高まっています。
問.過去のサミットの議題及び成果は?
→こちらを参照して下さい。
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