・ユダヤ王は真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となる。だが、一方で、われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に、後にはわれわれの宗教で再教育する間、われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども、教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合、一般的には、われわれの現代の新聞はゴイムの国家問題、宗教、ゴイムの無能さを断罪し続けるが、常に、わが民天与の才能を振い、あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく、罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。<十七>
・重ねて述べるが、臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては、盲目的に服従する。彼らはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……彼らは王者に天使の心を期待するのか? 彼らが王者に見たいのは力、力、力の権化なのである。<二十三>
・ダヴィデ王の子孫のうちの数人が、相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には、政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが、常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は、このような秘義を授けられたことがない者には、政府を委すことはできないということを徹底させることにある。これらの人々にのみ、何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ、私がこれまでに述べたような計画の実際化や、政治経済運動や社会科学研究の全成果−一言で言えば、人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理−が伝授される。<二十四>
・たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ、われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。……通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて、最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが、将来の計画を知っている。断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には、万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので、あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に、前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは、そのためである。<二十四>
・ユダヤ王は自分の感情、とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも、荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも、明晰に見る力を殺ぎ、思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は、人類の支柱であり、人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。<二十四>
・あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。(申命記、七章六)
・主はあなたの意のままにあしらわせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。
(申命記、七章二)。
・世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして、他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼らはことごとく空皮に過ぎざればなり。<イェシャヤ法師>
・神言い給う、我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあらず。人間なるイスラエル人の為に遣わしたるなり。(ミトラシュ・コヘレート)
・人間の獣に優れる如く、ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。<アブラハム・ゼバ法師>
・もしイスラエル人無かりせば、この世に幸福なかりしならん。これ申命記二八の八に記されたる如し。またイスラエル人無かりせば、天の諸星も昇らざるべし。これエレミヤ記三三の三五に記されたる如し。また地の上に雨の降る事なかるべし。これ申命記二八の一二に記されたる如し。<シメオン・ハダルサン法師>
・選ばれたる民のみ永遠の生命を受くるにふさわしく、他の国人はロバに等し。<アバルバネル法師>
ナッソー郡の交差点ガードになる方法
・「汝は主なる汝の神が汝に与え給いしすべての民を喰い尽くさん」との文句(申命記七ノ十六)は、今は亡き吾等の教法師達により次の如く解せられたり。すなわち、すべての民を喰い尽くし、すべての民より掠奪することは、彼らすべてが吾等の権力下に置かれる時に始まるべし、と。<ベハイ法師>
・神はユダヤ人にすべての方法を用い、詐欺、強力、高利貸、窃盗によってキリスト教徒の財産を奪取することを命ずる。(オルディン一、トラクト一、ディスト四)
・吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認むるものなり。(イスラエル文庫、一八六四年)
・律法(聖書)は多少とも重要ではあるが、長老方が聖典に記された言葉は常に重要である。
・掟の言葉より法師の言葉を敬え。<アシ法師>
・汝知るべし、法師の言葉は予言者の言葉より美し、と。<アシ法師>
・教法師の言葉は、生ける神の言葉なり。<ベハイ法師>
・教法師の日常の言辞も、誡律同様に重んずべきなり。(ヴェネツィア版ミトラシュ、一五一六年版)
・もし法師、汝の右の手を左の手と言ひ、左の手を右の手と言ふとも、彼の言葉に違ふべからず。<アシ法師>
・タルムードの決定は、生ける神の言葉である。エホバも天国で問題が起きたときは、現世のラビに意見を聞き給う。(ラビ・メナヘン、第五書の注解)
・法師の言葉を嘲る者は、地獄の煮え立つ糞の中にて罰せらるべし。<アシェル法師>
・ラビの言葉に背くことはトーラーに背くことよりも、さらに悪い。(ミズナ、サンヘドリン、十の三)。
・ラビの言葉を変える者は死罪に処すべきである。(エルビン、二一のb)
・トーラを学ぶゴイは死罪に当る者なり。<モシェー・バル・マエモン>
・なんじらは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。(ババ・メチア、一四六の六)。
・汝等イスラエル人は人間なれど、他の民族は人間に非ず。彼らの魂穢れし霊より出でたればなり。<メナヘム・ベン・シラ法師>
・イスラエル人は人間と呼ばる。しかれども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものなれば、豚と呼ばるるなり。<ロイベン法師>
・イスラエル人はアダム(人間)と呼ばれん。然れど他の諸族はアダムと呼ばるることなし。<アブラハム・ゼバ法師>
・悪魔と世界の諸民族とは、畜獣に数えらるべきなり。<ナフタリ法師>
・犬は異邦人より勝れたるものなり。<アシ法師>
・聖書に「隣人」と記されたる個処はいづれも非ユダヤ人を含まざるなり。(「シュルハン・アルフ」の注釈書より)
・レビ記十九章十一節には、汝は汝の隣人に不法を為すべからず、と記されたり。この文句は、ゴイ(非ユダヤ人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。
・ゴイが住んでいる家を見て、人はこう言った。神は傲慢の家を亡ぼすだろう=Bそして家々が亡ぼされたのを見て人は言った。復讐の神が顕現されたのだ=iバビロニアン・タルムード、ベラチョット、五八の六)。
・汝殺すなかれ、との掟は、イスラエル人を殺すなかれ、との意なり。ゴイ、ノアの子等、異教徒はイスラエル人にあらず。<モシェー・バル・マエモン>
・神はイスラエル人を審くには立ちてなし、尋問も簡単にして速かなり。世の諸民族を審く時は座して、厳格に長々と取調べをなす。<ラバ・バル・ナハマニ法師>
・「世界はただイスラエル人のみの為に造られたり。」この文句は極めて明瞭なれど、人々はこれをなおよく熟考し、また味うべきなり。イスラエル人に掟の与えられし時、イスラエル人はその掟によりて種々の美点をことごとく保持せしが、他の民は掟を受入れざりしによりこれらの美点を全く有せざるなり。<アブラハム・ゼバ法師>
・イスラエル人は、他のすべての民に対し優越する者なり、他の諸族の中には賢く利き者唯一人も居らざるに、イスラエル人にあっては全部が特に賢く利き人間なり。
<アブラハム・ゼバ法師>
ベローズの救急車サービスはバーモント州を下回る
・一人のイスラエル人の魂は神の前において他の民族全部の魂より価値多く、また神によって悦ばるるところのものなり。<シェフテル・ホルヴィッツ法師>
・ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが、ユダヤ人がゴイを殺すも責めは負わず。(前掲書、[の五)
・悪しき者(非ユダヤ人)を憐むことは、正しき者(ユダヤ人)に相応わしからぬなり。<ゲルソン法師>
・ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。<モシェー・バル・マエモン>
・拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は、ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにして、ゴイに対しては然らず。この事に就き亡き吾等の教法師達の言えるあり。即ち、「遺失物とはすべて汝の兄弟の失いしところの物を指すものにして、ゴイの失える物は然らず。その理由は、ゴイは神に属する者に非ずして、地の邪神に属する者なる故なり。故にゴイの失える総べての物は、この世にては再び見付けらるる事なき遺失物にして、その所有者に還るべきにあらず。財宝は唯イスラエル人にふさわしく、他の民はこれに値いせざるものなればなり。これ預言者イザヤ(二六ノ一九)の言えるが如し」と。<ゲルソン法師>
・ゴイの耳は不潔である。かれらの浴槽、住居、田園は不潔である。(トセフタ・ミクワト、vの一)
・九歳と一日以上のゴイの少年と、三歳と一日以上の少女は、不潔とみなされる。(パーフォコヴィッツ、タルムード、t・v、一一頁)
・他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。(シュルハンアルクのショッツェン・ハミッバッド三百四十八)
・ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には、その責任を負うべきであるが、ユダヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。(トセフタ、アブダ・ザラ八の五)
・盗賊≠ニいう言葉の解釈。ゴイは、ゴイからであろうとユダヤ人からであろうと、盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。だがユダヤ人はゴイに禁じられているこれらのすべてのことを為しても禁じられない。(トセフタ、アボダ・ザラ、[の五)。
・すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を屠ることを許さる。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
・ユダヤ女を求め得る場合には、異邦女の乳を幼児に吸わしむべからず。異邦女の乳は心眼を閉ざし、悪しき性格を形成するが故なり。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
・偶像礼拝に帰依せる非ユダヤ人及び賎しき牧人はこれを殺すことを許さず。されど彼らが危険に面しまた死に瀕せりとて彼らを救うことは許されず。例えば彼らの一人水に落ちたる時、報酬ある場合といえども彼を救い上ぐるべからず。また彼らを瀕死の病よりも癒すべからず・・・報酬ある場合といえども。しかれども吾等と彼らの間に敵意の生ずるを防止する為ならば、報酬無き場合にも彼らを救出し、また癒すことを許さる。しかれども偶像を拝む者、罪を犯す者、掟と預言者を否む者は、これを殺すべし。しかして公然と殺すを得ば、その如くなせ。しかするを得ざる場合には、彼らの死を促進せよ。例えば彼らの一人井戸に落ちたる時、その井戸に梯子あらば、これを取去り、直ちに再び持来るべしとの遁辞を用い、か� ��することにより落ちたる者の身を救い得べき道を奪うべし。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
・非ユダヤ人の証人たるところの証書はすべて無効なり。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
・成人せる非ユダヤ人奴隷は、牧者なき家畜の如し。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
・すべてゴイは月經時の子にして、根絶さるべきものなり。<ベハイ法師>
・キリスト教徒は異教徒なり。<アバルバネル法師>
・改宗してユダヤ人となれる者は、同様にユダヤ教に改宗せるその母あるいは伯母と婚姻するも差支えなし。改宗者は新たに生れたる者と見なされ得る故なり。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
カンバーランドfalls.ky
・二十四項の罪あり。これに触るる者は除名さる。例えば第八項、その地所を非ユダヤ人に売りたる者、第九項、非ユダヤ人法廷においてその隣人(即ちイスラエル人)に対し不当なる証言を為せる者、等。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
・非ユダヤ人及び奴隷も証言を為す資格なし。敵・混血児・裏切者・自由思想家・変節者(背教者)、キリスト教の洗礼を受けたる者はゴイ(非ユダヤ人)より更に悪しければ、同じく証言を為すを得ず。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
・他の宗教に改宗したる者は、盗賊になりたると等し。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
・汝知るべし、イエスの教に従いて迷えるキリスト教諸国民は、その信仰には種々あれども、ことごとく偶像礼拝者なり。故に彼らは偶像礼拝者相応に扱わるべし。これタルムードの説くところなり。<モシェー・バル・マエモン>
・決して偶像礼拝者と事を共にするなかれ。また彼らを憫むべからず。その故は、申命記七章二節にその如く記されたればなり。故に非ユダヤ人が生命の危険に瀕するか、あるいは河に溺るるを見るとも、これを救助することは許されず。<モシェー・バル・マエモン>
・偽善はこの世においては許さる。すなわち、背神者に対し慇懃になし、彼らを敬い、彼らに向いて「我汝を愛す]と言うもよし。すなわち、必要上止むを得ざる場合、恐怖に駆られたる場合は然り。<ベハイ法師>
・すべてこれらの条項(三十箇条のユダヤ信仰箇條)を信ぜざる者は異教徒なり。故にかかる者を憎むは吾等の義務にして、彼を賎しみ、出来得べくんばその亡ぼし、また根絶するは当然の事なり。<アバルバネル法師>
・他の諸族はイスラエル人と同じ姿を有すれども、真の人間に比ぶれは模造に過ぎず。彼らは、ダニエル書四の十四・十七に記されたる如く、劣等なる種類の人間なり。これに対しイスラエル人はアダム(人間)なる語の真の意味における高き価値ある人間にして、この故にまた単に人間とも呼ばるるなり。<シメオン・ハダルサン法師>
・偶像礼拝者は畜獣と呼ばるべきものにしてただ最広義においてのみ人間と呼ばれ得るに過ぎず。<ロイベン法師>
・非ユダヤ人はイスラエル人の財産に対し所有権を有せず。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
・ゴイの財産は主なき物品のごとし。(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、一一六の五)。
・ゴイの土地は荒野のごとし。最初に鍬を入れた者に所有権が帰する。(ババ・バトラ、一四のb)。
・ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは金を持つべきではなく、持てば神の名において不名誉となるだろう。(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、三四八)
・ノアの息子は小銭たりとも盗めば死罪に処せらるべきであるが、イスラエル人がゴイに損害を負わせることは差支えなし。なんじの隣人を傷つけるなかれとは書いてあるが、ゴイを傷つけるなかれとは書かれていない。(ミズナ、サンヘドリン、五七)。
・ゴイの失せ物を見付けた者は自分の所有にしてはならないが、ゴイに返すことは禁じられている。(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、二六六の一)。
・ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取るべからず。唯アクムよりのみこれを取るべし。しかしてかかる取引は使者をしてこれをなさしむべし。使者ならば、かく為しても、罪を犯したるには非ずして、戒律もまた遵守されたるなり。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
・タルムードの誡において神は命じて曰く、ゴイに金を貸すには必ず高利を以てすべし、と。これ、彼らが借りたる金により利する事なからんため、かつまた、我らが金銭にて彼らに助力を与うることなく、むしろ損害を与えんがためなり。<モシェー・バル・マエモン>
・非ユダヤ人より盗みたる物を用いて女と婚約するは差支えなし。(シュルハン・アルフ、第四巻救いの岩)
・ゴイに向って誓いを立てた者は、盗賊であれ税吏であれ、責任を取らなくてよい。(トセフタ・スゼブノット、一一)
・結婚、誓約、約束を取り消すには、ユダヤ人はラビの所に行かねばならぬが、ラビが不在の場合は、他のユダヤ人を三人呼び集め、かれらに残念ながら取り消すと言えばよい。そうすると三人はなんじは許された≠ニ言う。(シュルハン・アルーフ、二、一の二四七)
・ゴイにわれらの信教を教える者は、ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれらの教説を知ったならば、かれらは公然とわれらを殺すだろう。(リブル・デヴィッドの書、三七)
・律法の秘密を公にすることは禁ぜられる。これを破る者は全世界を葬るに等しい犯罪である。(ジャクトゥ・ハダズ、一七一の二)
・ユダヤ人がラビの書物のどこかを説明してくれと頼まれたなら、ただただ嘘の説明をするべきであり、ほんとうのことを教えてこの指示を裏切る共犯者となってはならない。この律法を破る者は生かしておいてはならない。(リブル・デイヴィド、三七)
・ゴイがわれらの書物には何かゴイを害することが書いてあるのではないかと聞いたら、偽りの誓いを立てなければならない。そして、そのようなことは誓って書いてないと言わなければならない。(ザーロット・ウザボット、ジュル・ダの書、一七)
・タルムードを学ぶゴイ、それを助けるユダヤ人はことごとく生かしておいてはならない。(サンヘドリン、五九、ア・アボダ・ゾラ、八の六。ザギガ、一三)
・神よ、あなたを信ずることなく、その御名を称えざる民どもの上に、あなたの怒りを注がしめ給わんことを。かかる民どもの上にあなたの怒りを下らしめ、あなたの怒りもて屈伏せしめ給え。かの民どもをあなたの怒りもて追い散らし、粉々に打ち砕き給え。おお神よ、かの民どもの骨をすべて抜き取り給え。あなたの民に敵対するものすべてを瞬時に殺傷し給え。これら存在の価値なき民どもを根絶、四散、殱滅し給え。誅殺し給え! 今ただちに誅殺し給え!(プラナイティス、クリスマス・イン・タルムード・ジュデオラム、『シナゴーガ・ジュダイカ』二一二頁、『ミンハギン』二三頁、『クラチ・シャイム』四八〇頁。過越祭の夕の祈りで現在も唱えられているもの)
・(新年二日以前のもの)彼ら非ユダヤ人の評議を狂気をもって悩まし、その思想を乱し給え。彼らの君侯を狂気ならしめ、彼らが吾々になしし如く彼らになし給え。(「ユダヤ祈祷集」より)
・何者かが三度ユダヤ人を裏切るか、もしくは(ユダヤ人の)金をゴイどもに渡したことが疑いない場合は、賢人会議はその男を放逐しなければならない。
・裏切り者を放逐せんがために、何人も共同体に寄付をしなければならない。(前掲書)
・涜神者(非ユダヤ人)の血を流す者は、神に生贄を捧ぐるに等しきなり。<シメオン・ハダルサン法師>
・自由思想家及びトーラと預言者を否む者を殺すは掟なり。公然と刀剣を以て為し得る時は然かなすべし。もし然か為し得ずば、策計をめぐらして死に至らしむべし。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
・トーラーを持たざる者と予言する者とを、すべて殺さなければならない。彼らを殺す力ある者は、剣あれば憚ることなく剣もて殺せ。剣なければ策略もて放逐せよ。(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、四二五の五〇)。
・キリスト教徒の中最も善き者を絞殺すべし。<アシ法師>
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